第七章  障害
  これまでに学んできた六章に従い、行動したとしても、希望通りの成功を、収められるとは限らない。 やはり、成功の段階においても、障害に直面することもあるのである。
  人生において、あなたが、真の成功というものを知るためには、あなたの成功を、妨げる障害となるものについても、十分知っておく必要がある。 成功を理解し、その障害を理解することにより、直面した障害の克服の仕方を身に付けることができる。
  成功の段階にある、さまざまの障害は、雑草のようなものである。どんなにいい種を蒔いても、常に生えてくる雑草を抜いておかないと、養分は雑草に、すべて取られ、立派な収穫など期待できない。 立派な収穫は、いい種を選び、いい畑に蒔いて、水や、肥料や日光を与えることによって可能になる。雑草は、植えなくても生えてくるものなのだ。放っておけば、立派な畑も、雑草におわわれてしまう。 これが白然の法則なのだ。同じように、人生においても、雑草は、すべてを台なしにしていく。 結婚しても、家庭のことを顧みずに放っておけば、夫掃生活にも雑草が生えて、新婚当初の幸福な生活が、全くだめになってしまうことがある。
  「こんなつもりではなかった。」と言っても仕方ない。どんなことでも、放ってわけば、致命的なものになってしまう。雑草とは、植えなくても生えてくるものだ。 だから、仕事や家庭や、将来に、雑草が生えないように、注意を怠ってはならない。
  人生は常に、雑草や病気と闘っていかなければならない。 永い問、ばんやりと放っておくと、生涯取り戻すことができなくなる。そのようなことにならぬよう、闘うのだ。あなたの望む、すばらしい人生を、破壊しようとするすべての障害と、毎日闘うのだ。
  成功の障害の典型的なものをいくつかあげ、その克服の仕方について学ぶことにしよう。その第一は、三無主義である。 三無主義者とは「無気力」「無関心」「無感動」といった、人生に対して、いいかげんな態度を持つ人のことである。 どうして、自分の人生なのに、真剣に真正面から立ち向かわないのか。「何にでも夢中になるなんて、できない。」と言う人もいるが、成功するには、何にでも夢中にならなければならない。 あなたが、成功したいと思うのならば、まず強い情熱を持った人間になることである。自分の進むべき方向に、夢中になって、前進していく人間に、ならなければならない。 中途半端な態度でのぞめば、結果もまた、中途半端に終わる。では、一体どのようにして克服するか。成功するには、まず情熱の強い人を見つけることだ。
  あなたと気が合わない人でも、強い情熱、行動力を持った人ならば、あなたによい影響を与えてくれる。情熱が強ければ、強いほど、その人は、あなたにとって極めて重要な人となるのだ。 その人と、機会あるごとに接触することが、あなたを変えるのだ。自分の信じる行動に、無我夢中になって、心身共に打ち込む人な
ら、どんな人であろうと、こちらから近づき、接触することだ。 本当に成功しようと思うのなら、自分の欲しい物にすべてを集中するには、どうすればよいかを、知らなければならない。自分の欲しい物に対して、集中することが大切だ。 それがうまく行かないときは、白分の立てた目標を再検討するのだ。しかし、本当にやる価値のあるものを見つけたら、心身共に、打ち込んでやるのだ。 遊びでも仕事でも、何事にも、徹底的に打ち込んでやれば、必ずうまくいくようになる。なまぬるい態度で、中途半端にやれば、結果も必ず、中途半端に終るのである。
  第二の典型的な障害は、優柔不断である。決心ができず、いつまでも、完全な時期がくるのを待っている。こんな憶病者には、何十年待っても決断ができないのだ。
  例えば、水泳だって、冷たい水に飛び込んで、体を動かすうちに、水の冷たさを感じなくなる。もう少し、暖かくなるまで待とうと思っても、水温は上らない。 優柔不断な人は水が仮りに、暖かくなっても、なま温い水には飛び込まず、もう少し、冷たくなってから、飛び込もうというのだ。 いつも水べりに立ち、足先だけ、少し水につけて、飛び込もうとしない臆病者なのだ。いつまで待っても、完全な時期などくる訳がなく、飛び込んで、条件に順応しなければ、何もできないのだ。 ところが、優柔不断の人は、いつも完全な時期がくるのを待っている。「明日こそは、良い状態になるだろう。」と言い、彼らはいつまでも、決心を先々に延ばすのだが、明日になっても、状態など変わるはずがない。
  また、そんな都合のいい日は、いつまで待っても、来るはずがない。 どんなに真剣に待っていても、状態を良くするのは、あなた自身以外にいないのである。もっと良い日というものは、待っていてむこうから、やって来てくれるものではない。 だから、あなた自身が今日一日を、より良い日にしなければならないのだ。
  その一日というものは、映写機にかけるフィルムのようなもので、どんなフィルムを、映写機にかけるかによって、どんな人生という、映像が写し出されるかが決まるのである。 立派な人生の映像を造るのはあなただ。だから、あなたはチャンスを確実につかみ、夢を実現するのだ。 1日はたった24時間しかないという、現実に正面からぶつかり、その24時問しかない1日を、思う存分、最大限、有効に使うのだ。わずかな危険を、あまりにも恐れ過ぎるから、決断ができないのである。 どんな心配事でも、それが実際に起こった、ということは、非常に少ないのである。どんな事でも、それを一担始めると、必ずうまくいくようになってくる。 「もし、失敗したら、どうしよう。」こんなことを言っている人は、必ず、「あの時、ああしていればよかったのに。」といつも後悔をする・これが貧乏人のせりふだ。 人生には、ある程度の危険が伴うものだ。この世に生まれてくること自体危険なのだ。いつどこで、どんなことが起きるか分からない程、人生には危険が多い。 道を歩いていても、車に乗っていても危ない。こんなことを怖れていては、この世の中で、生きては行けない。危険とチャンスは、必ず一緒にやってくる。
  どちらか一方だけということはない。あなたが成功者になるか、失敗者になるかは、そのどちらに目を向けるかによるのである。
  失敗者は、チャンスの中に危険ばかりを見つけ、成功者は危険の中に、必ずチャンスを見つけ出すのである。こういうことを言う人もいる。「独立して、会社を始めても大丈夫だろうか。 こんな不景気な世の中だから、倒産するのではないだろうか。軌道に乗る前に、白動車事故を起して、半身不随になったら、借りた金を誰が支払うのだろう。」こんな憶病者には、こう言ってやるのだ。 「それなら、今のままの生活を維持するために、一生懸命働くような毎日を繰り返し続けていき、ある日、トラックにはねられて、首の骨でも折って、二度と働けない不具者になったらどうするのだ。 だれが家族の面倒を見るのだ。自分が慮病で、決心できないから、言い訳ばかりするのだ。」
  人生何をするにも、ある程度の危険は、必ず件うものだ。その危険を心配して、何も行動に移さなければ、あなた自身、あるいはあなたの家族の将来は、永遠に保証されない。 それでも、このような心配屋はさらに言う。「私が求めているのは安全と保証だ。」そんなに安全が大切ならば、家の隅に座わって、じっとしていれば、だれかが毎日、三度三度、食わせてくれるだろう。 そうすれば、あなたの人生は、安全で、ひょっとしたら、100才まで生きることが、できるかもしれない。」こう言われれば、さすがの心配屋も言うだろう。「そんな人生では、生きる価値がない。」その通りなのだ。
  安全だけの人生ではだめだ。安全だけを求めるようでは、人生、生きる価値がないのだ。 人生にある程度の冒険を求めるのだ。部屋の隅っこにかがみ込んで、百年安全に生きるよりは、冒険に満ちた30年の人生を生きる方が、はるかにましだ。 大切なのは、人生を長く生きる、ということではなく、どのように生きるか、ということである。決断できない人は、白分白身でも、決断できないことを良く知っている。 そして、判断が間違うことを怖れて、心配するのである。しかし、どんな決断を下しても、とにかく行動することだ。冒険に満ちた人生とは、たくさんの決断を下した人生である。 もし判断が間違っていたら、正しい判断を下すための、いい経験をしたと、プラス的に考えることが大切だ。そして、もう一度やり直すのだ。
  優柔不断だということは、時間とチャンスを無駄にすることである。チャンスが目の前を通り過ぎ、そのチャンスを他人がつかむのを、疑いの眼で、じっと見送るのだ。速やかに決断できるように、訓練すべきだ。 優柔不断は、時間の浪費であり、決断を迷っている間にも、時間はどんどん過ぎていく、一日迷っていれば、人生は1日短くなる。優柔不断は死刑の宣告だ。 あなたの人生を日一日と縮めていく。
  第三の典型的な障害は、疑いと心配であり、非常に関連性のある障害である。まず、疑いである。白分の常識だけで物事を判断する。 疑うことにより、成功することは、困難になる。他人を疑い、そして最も悪いことは、白分自身を疑うことだ。
  白分自身を疑う人間は、まず、自分がやれるかどうかについて疑いを持ち、事態がうまく展開するかどうか、について疑いを持ち、 そして、白分にはできないのではないかと、疑うのである。
  疑ってばかりいると、人から信頼されず、その結果、仕事もうまくいかないようになり、経済的にも、みじめな生活に落ち入り、人から笑い者にされるようになるのだ。
  疑いを克服するには、まず疑うことを意識的にやめること、そして、信じることを学ぶのだ。信ずれば、不可能も可能になる。 そして、いつも信ずることが、できるように、自分白身で意識的に努力するのだ。
  次に、最も多くの人々に見られるのが、心配である。 心配は、物事に対する悩み、恐怖から生じるものである。心配を重ねると、健康状態や性格まで悪くなり、家族や友人からも相手にされない人間になってしまう。 もちろん、経済状態も悪くなるのである。心配もひどくなると、本当に心身ともに致命的な影響を受ける。何をやるにも「失敗するのではないだろうか・」という心配に、いつも悩まされる。 未知のことへの不安・心配は誰にでもあるものだ。
  何が恐いのか、はっきりと分からないままに、心配になり、神経質になる。ささいなことで、びくつくようになり、積極性を失くし、何事にも行動できなくなってしまう。 未知のことは、ちょうど暗闇を恐れているようなもので、その正体が分かれば、取り越し苦労だったことに気付く。
  あなたの、過去1年間の心配を、思い出してみればわかるだろう。実際に心配していたことが起こった例は、ぼとんどないはずだ。 取り越し苦労ばかりして、人生を無駄に過している人が、あまりにも多いのだ。 とにかく、心配・不安のもとである、悩みや恐怖に対しては、いつも心のスイッチをひねり、明りをつけて、その正体を知ろうと、努力すればいいのだ。 例え、どんな失敗をしても、命を落とすわけでもないし、怪我をするわけでもない。少しばかりの金を、損したからといって、ガックリ肩を落としても何にもならない。 もう一度思い直して、やり直せばいいのだ。自分が失敗したら、人が何と言うかと気にする人がいるが、別に心配する必要はない。 彼らから見れば、すでにその人は、失敗者なのだから、少々の失敗では、今さら、彼らの考え方が変わることはないのだ。 あなたが彼らの経済状態に関して、何も言わないのと同様に、彼らも遠慮して、あなたは、そのことを言いたくないのだ。 このようなことは、他人に言われなくても、自分で気が付いているべきことなのだ。一度自問してみるといいだろう。「失敗したらどうしよう。しかし、今までに何度も失敗しているが、まだ五体満足だ。 失敗しても死にはしないのだ。今がチャンスだ。もう一度やってみよう。失敗しても、やり直せばいいのだ。大したことはない。しばらく、飲み代に困る程度だ。」
  こう、自分白身に言ってみるのも、いいだろう。そうすれば、失敗に対する恐怖は消える。
  また、逆に、親戚、友人だというだけで、何も事情のわからない人の意見を求めることがある。 実は、これがよくある失敗の原因なのである。事情の分からない人の意見は、必ずマイナス的なものであり、あなたのせっかくの決心に、冷水をかける結果となる。 あなたが、人生を変えるチャンスを見つけ、それに挑戦しようと考えれば、エキサイトしはじめ、人に話したくなる。まず親戚・友人の所へ飛んで行く。 すると両親でさえ、必ず、なぜうまくいかないか、なぜあなたにはできないか、という理由のみを繰り返し聞かされるから、せっかくの情熱もさめて、「どうせ、初めから欲しくなかったんだ。」とまで言うように、 目的実現の決意も、完全につぶれてしまう。そうなれば、目標を失い、熱意がさめ、消極的な人間になってしまう。 しかし、このような障害を克服し、ある程度の成功をわさめ、さらに成功の段階を昇るうち、うまく行くようになってくる。 また増えた収入をどう使うか、ビジネスを始めるか、投資するか、などと考えなければならなくなる。あなたは、自分の考えに、エキサイトして、いろいろな人に相談する。
  ところが、何も事情を知らない、白称専門家に相談をもちかけると、大変なことになる。自称専門家は、逆に不安の扇動者になりがちなのである。 彼らは、ありとあらゆる失敗の可能性と、なぜあなたには、それができないか、ということのみを克明に説明してくれる。このような、あなたにとってマイナス的な話を聞かされると、 あなたは次第に心配になり、強い決心も音をたてて崩れてしまう。
  こうして、せっかく、人生向上の意欲を燃やした、あなたの生活は、今まで同様に平凡に戻る。 自分の人生について、真剣に考えている人は少ない。まして、他人の人生の助言など、それぼど真剣に考えるはずはない。 だれもが心配を好んでしているわけではないが、過去の失敗を思い出すと、将来の失敗を心配するようになる。 こうなれば、「成功しよう。」という、積極的な意欲より、「失敗しないでおこう。」という消極的な考え方が強くなり、何もやろうとしない、くだらない人間になってしまう。 そして結局は、他人の考えや、意志のとおりに動かされてしまう。あなたはロボットではない。人間なのだ。自分のやりたいようにやれる能力があるのだ。 だから、自分にこう言い聞かせよ。「過去に失敗は、たくさんしてきた。もし今度失敗しても、人生終わりではない。今度こそは、絶対に成功してみせるぞ。」
  人間会社には、常にマイナス人間がうようよしている。マイナス人間に決して影響されてはならない。逆に、そうした人間には、あなたが、プラス的な影響を及ぼすのだ。 マイナス人間が、不安な言葉を口にしたからといって、あなたも自信を失くすようでは、いつまでも、人の言いなりになるだけであり、絶対成功できない。 二人の人間が話しをすれば、自分の立場を強く主張し、自分の考えていることを理解し、すべてに自信をもっている人の方が、相手に影響を及ばす。あなたが一度した決心は、正しいのであり、名誉ある決心だと信じることだ。 そして、その決断が問違っていない限り、最後まで押し通すのだ。
  あなた白身がした決心なのだ。他人のマイナス的な意見で、ぐらつくような決心しかできないのなら、何をしてもだめだ。 やり遂げる価値が大いにある決心だと、自分に言い聞かせるのだ。成功者のみの意見に耳を傾けるのだ。そして、あなたも勝つ人、他人に影響を及ばす人にならなければならない。
  心配を克服するには、二つの方法がある。それは、行動と信念である。行動すれば、心配するひまなどない。行動すれば、自信が出てくるのである。 心配になるのは夜、一人で何もしないでいる時だけだ。一生懸命、仕事をしている時には心配が頭の中に入ってくる余地はない。とにかく、忙しく行動することである。行動を起こせば、心配は消える。 心配になるのは、体を動かして行動しないからである。少しずつ心配事が増えていくと、行動できなくなり、人間の健康状態にも悪影響を及ばす。「原因不明」だとか、「文明病」等の原因が、ぽとんどが不安・恐怖なのである。 心配して行動できないのは、信念が足りないからだ。信念は山をも動かすのだ。白分のしていることに、信念を持つことで、どんなことでも可能になる。信念だけが、あなたを不安・恐怖から解放してくれる。 体を鍛えるのと同じように、あなたの信念も鍛え上げるのだ。
  うまくいかずに、弱気になっていると感じるときは、成長の痛みだと思えばよい。あなたが向上している証拠なのだ。だから前向きに、乗り越えることが大切なのだ。人間の考えを止める唯一の障害は、不安である。
  不安や恐怖を感じずに、人の話を聞くと、その内容が、簡単に理解できる。 だから不安・恐怖を速やかに克服できるように、全力を投じて、努力しなければならない。もう、あなたの頭の働きを止める障害はなくなるので、不可能が可能になり、前進することができるのだ。 そして成功が、あなたにとって、簡単なものとなるのである。
  第四の典型的な障害は、悲観主義である。悲観主義者の典型的な性格は、人や物事に対して、欠点ばかりを探し出すのである。暗い面、難しい点、問題の点ばかりを見る。 コップに半分水が入っている。楽天家が見れば、「まだ、半分入つている。」と言うが、悲観主義者が見れば、「もう、半分しか入っていない。」と言うのである。
  悲観主義者は、いくらいい物を見ても、必ず何か欠点を見つけだし、それを強く指摘する。 例えば、すばらしい豪邸を見ても、人の家なのに、税金の心配をしたり、すばらしい車である、ポルシェを見ても、燃費の心配をしたりする。 悲観主義者は、すべての欠点を他人の前で、専門家のごとく指摘し、自己満足しているのである。何と小さい人間であろう。
  成功者は、例えば、税金一つ取ってみても、「1億円も税金を払えば、手元に残る金はとんでもない金額になるな。」と、手元に残る金のことを考え、悲観主義者、すなわち失敗者は税金で取られる金ばかり心配する。
  また、たくさんの請求書を見れば、倒産することを心配し、楽天家のように商売が大きくなったという、明るい面に目を向けることができない。窓の外の美しい景色は見えず、窓の汚れを気にする。壁の美しい絵は見えず、壁の汚ればかりを気にする。 何と、面白くない人生であろう。
  しかし、悲観主義者は、自分だけの損失には終わらせず、他人をも引きずり込む。
  その最悪の欠点とは、白分をよく見せるために、他人をこき降し、他人を傷つけることである。こんな醜い、ひきょうなことをしていると、精神まで腐敗した人間になってしまう。 自分をよく見せるには、自分の能力を実際の行動で証明する以外にはない。
  最後の典型的な障害は、最も人生を、あなた自身を破減させるもので、すべてを無駄にしてしまうものである。それはぐちという病気だ。
  ぐち、不平、不満、言い訳、つぶやき、すべて心の病である。これらを口にしても、何も解決せず、何も得することはない。ただ、無駄な時間を失うことになるだけだ。 ぐちをこばせば、行動ができなくなり、絶対、成功などできない。天気が悪い。食事がまずい。仕事がつらい。忙しい。上司がよくない。妻が、子供が、両親がよくない。 こんなぐちを言いつづけても、何の解決にもならない。成功への旅を中止したくないのなら、決して、ぐち、不平、不満、言い訳、つぶやきを言ってはならない。あなたの心に、ぐちという雑草が 生えないように、意識的に気を付けて、前進するのだ。
  あなたの望む、すばらしい人生、すなわち、あなたの大きな成功のために、これらの障害を常に克服し、前向きに進むのだ。 六章までの内容を身につけ、実行し、成功の段階にある障害をことごとく、打ち破ることによって、あなたは確実に、成功できるのだ。
  これまでの各章で学んできた、すべてのことをまとめたものが、第八章に記されている。あなたは、もう最後の章の目前に、たどり着いたのだ。
  最後の章は、あなたが、本当に成功するために成すべきこと、すなわち、成功への秘訣の真の極意が示されているのだ。
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